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歴史
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鎌倉小児保育園成立まで
   
昭和8   (1933)   08月19日   鎌倉本園、救護法に基づく救護施設として認可。

この頃の本園家族
           
        11月   音次郎(70歳)、神奈川県社会事業協会評議員委嘱。
           
昭和10   (1935)   04月01日   台北支部に母子寮設立。
           
        10月23日   音次郎、中央社会事業協会(総裁高松宮)主宰全国社会事業大会において社会事業功労者表彰。
           
昭和13   (1938)   05月27日   評議員会(第22回)にて、音次郎(75歳)、北支・中支に新支部設置計画を提案。昇理事夫妻、視察に派遣さる。
           
        10月21日   鎌倉保育園「北京支部」設立(北京市外四区大井胡同八號)
●現地居住不遇児童の救済保護施設、学校は中華学校に通学させるが、園内で日本語の練習、日本の風習などにも親しませるよう取り組む。翌5月、先ず7名の収容を開始する。戦局悪化に伴い、昭和18年末閉鎖に至り、収容児童は大連に移管される。

北京支部
           
昭和15   (1940)   06月29日   鎌倉保育園創立45周年記念感謝会開催、創立45年史並びに記念誌「聖愛一路」(賀川豊彦序、日能光子著 教文刊)を来会者に贈呈。兼ねて園の友会建立音次郎胸像除幕式を挙行。
●「聖愛一路」の編者日能女史は、明治39年5月、鎌倉小児保育園が竣工し、腰越からその新しい園舎に移動中の音次郎とその家族一行を、夫君日能傄太郎氏(神奈川県弁護士会会長)とともに偶然、目撃され、以来、園の理解者として終生協力を惜しまれなかった。昭和36年7月25日、歿。
           
        08月16日   音次郎歿(午後7時35分)、享年77歳。特旨をもって従六位追賜さる。

自詠の歌碑と音次郎
(昭和15年春)

絶筆となった音次郎の手紙

音次郎、子供たちと最後の写真
(昭和15年8月10日 この日の午後、倒れる)
           
        08月19日   鎌倉美以教会にて音次郎の葬儀行われる(園葬)。
           
        08月20日   音次郎追悼集「松籟」刊行
           
昭和20   (1945)   08月15日   日本政府、ポツダム宣言受諾。敗戦
●この時点での各支部の状態とその後の運命については次の通りである。
(1)京城支部(支部長 曽田嘉伊智)
支部園舎はこの年の8月末罹災した。10月中軍政府と交渉がなり、収容児童150名は韓国側の3施設に分けて移管された。創立以来の入所人員は、1,104名であった。なお、本支部は後年、その跡地に大韓民国基督教永楽社会福祉財団により、養護施設永楽保隣院として復興される。
(2)台北支部(支部長 佐竹齋吉)
本支部は養護部のほか、愛育幼稚園、託児所、母子寮、国語講習所を併設してきた。このうち、幼稚園と託児所は戦局の悪化とともに休止のやむ無き至り、養護部・母子寮についても日本人の疎開や大量引揚げで次第に人員を減じ、終戦時8月の時点での現員は45名で、その後20名は縁故者が引き取り、25名は職員とともに引揚げてきた。創立以来の養護と母子収容は、1,044名、保育児は、6,880名であった。
(3)大連支部愛育園(旧旅順支部)(支部長 佐竹 里)
終戦時の現員は、75名、うち35名は現地で縁故者が引き取り、40名は職員とともに引き揚げてきた。創立以来の入所人員は592名であった。
(4)大連支部新生学園(支部長 難波 鹿太郎)
終戦時の現員は、30名、そのほとんどを縁故者に引き渡す。創立以来の入所人員は206名であった。
           
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