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歴史
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鎌倉小児保育園成立まで
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昭和20   (1945)   10月   県下の主たる社会事業団体10団体と協力して、横浜市磯子区(現、金沢区)町屋町に引揚者一時援護施設「金沢郷」を開設、当財団は、主として太平洋諸島中、最も激戦地であった所からの引揚者に対する保護育成に努める。
●本事業は乳児保護協会黒川フジ氏が当時、県内社会事業民間団体の連絡機関であった社会事業懇話会にその設立を提案したことが契機となり、敗戦の大混乱期に神奈川の面目にかけて各団体が自腹を切って共同の総合社会事業を企画するという戦後最初の画期的試みであったが、海外からの引揚が次第に収束するにつれ、翌21年11月1日、本事業は神奈川県同胞援護会に移管されるに至る。海外の諸支部は終戦とともに事業を閉鎖の後、職員は収容児中全く身寄りのない児童を引率して下記のごとく鎌倉に引き揚げてきた。
昭和20年(1945) 11月25日  京城支部引き揚げ
昭和21年(1946) 04月06日  台北支部引き揚げ
  12月25日  大連支部引き揚げ

各支部からの引揚終了後撮影した家族写真
           
昭和21   (1946)   11月   アメリカの民間奉仕団、ララから最初の救援物資が届く。
●ララ(LARA)とは、終戦後、日本・朝鮮・沖縄地域に対する救援活動を行うため、自発的に結成された「アジア救済公認団体」の頭文字をもって呼称したものである。同団体は本救援活動実施にあたり次の事項を事業推進の柱とした。(1)物資の公平配分、(2)外人が表面に出ない、(3)日本人の自尊心を損なわせないように、また、依頼心を起こさせないように注意を払う、(4)本運動は民間有志の隣人愛から生じているが故に、米政府や進駐軍の力が及ばないように配慮する、(5)多くの日本人が「受くるより与うるは幸いなり」という聖書の言葉を理解し、その実行に心を向けるようになり、日本人も相互に、また、日本人以外の人にも持てるものを分かちあえる精神を植えつけるよう配慮する(全養協刊「養護施設30年」参考)。
 同団体からの援助物資は昭和21年11月より昭和27年3月までの間、神奈川県下だけでも、県下の社会福祉施設や団体511か所に支給され、食料や衣類等を合わせ時価約16億円に達する物資を贈られ、29万余人を救済した。更に、昭和24年7月頃よりはユニセフの国連国際児童緊急基金(昭和21年2月創設)からの物資援助もはじまり、主として脱脂粉乳や衣料品などが県下の児童福祉施設に配給された。これら米国からの緊急救援物資は戦後の大混乱期の中で苦境にあった数多くの社会福祉施設を救った(「巷談 かながわの社会事業史」(吉村良司編・昭和61年刊)参考)。


ララ物資の援助と、当時の鎌倉本園の子どもたち
           
昭和23   (1948)   01月01日   児童福祉法の施行により、財団法人鎌倉保育園は「養護施設」として認可される。戦後、疲弊による著しい要援護者の増加により、従来あった成人保護部門をあらたに「生活保護部」とする。
           
昭和24   (1952)   05月21日   社会福祉事業法の施行により、財団法人から社会福祉法人へ変更認可される。
理事5名、監事1名、佐竹昇初代理事長に就任。
           
        06月   改正生活保護法の施行により生活保護部は救援施設として認可される。
           
昭和32   (1957)   08月   綾瀬市在住で農業を営んでおられる近藤義一氏より、生活保護部移転用地として755坪を購入する。
●近藤氏は、以前、音次郎義姉の医師沖本幸子の診察を受けたことがあり、その時、沖本のすすめからキリスト教を求道された後、救世軍士官となられた。一貫して、鎌倉保育園の良き理解者のお一人であった。
           
昭和35   (1960)   06月04日   創立65周年記念感謝会を挙行。
           
        10月   佐竹昇、藍綬褒章授与。
           
昭和36   (1961)   10月   高座郡綾瀬町寺尾大字2370番地に鎌倉保育園生活保護部を分離し、綾瀬分園を設置。建坪230坪(定員30名)
           
昭和37   (1962)   04月   佐竹正道、綾瀬分園の初代園長に就任。
           
昭和38   (1963)   07月   綾瀬分園、増築落成式挙行。増改築建坪215坪(定員70名)
同時に、救護施設「綾瀬ホーム」と改称。

 
           
昭和39   (1964)   04月   佐竹昇鎌倉保育園園長、ララ本部並びに世界基督教児童福祉(CCF)の援助活動に対する答礼使節の日本代表の一員として、渡米、併せて欧州歴訪、約2ヶ月間、欧米の社会福祉施設を多数見学する機会を得る。
●CCFとは第二次世界大戦の混乱期から1974年までの26年間、日本の子どもたち延86,500人を援助したキリスト教児童基金(Christian Children's Fund)を意味し、当時のCCFからの援助の受入れ窓口であった社会福祉法人基督教児童福祉会は、この精神を受け継ぎ1975年にCCWA国際精神里親運動部を創設し、隣国フィリピンや大韓民国への協力活動を開始し、現在に至っている。

CCFスポンサーからのプレゼント

鎌倉保育園園舎(進駐米軍が撮影した、当時ではめずらしいカラー写真)
           
        06月   精神薄弱者福祉法の施行により綾瀬ホームは、救護施設から精神薄弱者援護施設として変更認可される(定員70名)
           
昭和40   (1965)   09月27日   創立70周年記念及び養護施設鎌倉保育園新園舎新築落成披露(定員115名)。
創立70年史(高橋芙蓉編)刊行。
●前の欧米の福祉施設見学で得た小舎制度のメリットと鎌倉保育園の伝統である大舎制の利点を兼ね備えたアパートメント方式の大園舎の中の小舎制方式を採った。

新築落成した新園舎
           
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